村上春樹『騎士団長殺し』

(ドロップシャドウがなんだか懐かしいような装幀ですが、これは流行が一周して逆に斬新ということ?)

 

 

村上春樹の7年ぶりの長編新作『騎士団長殺し』が発売となりましたが、もう読まれましたか?

音楽業界では、これまた毎回の恒例行事となっている、作中に登場する音楽CDを並べたコーナーを店頭に作るという便乗セールスも始まっております。

どんな切り口で音楽に目覚める人がいるかわからないから、こういう分野をまたいだ営業活動は大いにやれやれーっと応援しています。

***

さて、私は80年代からずっと村上作品を観察するように読み続けているので、世の中の動向に関係なく、新作が出れば、まあ買うわけです。

そして毎回自ら罠にかかるようにストーリーに引き込まれ、(アンチが苦手な)その文体が大好きなので舐めるように、仕事も家事も食事も放り出して読むことになるわけです。

今回の新作は、主人公が肖像画を専門とする画家で、注文主の姿をどのように作品として完成させていくか、その創作過程が非常に興味深いものでした。

注文主の生い立ちを訊いたり雑談をして、人物の本質を掴めたら、絵がフッと立ち上がる、みたいな感じなのです。

これが、音楽でいうと、作曲された時代背景や作曲家の人生や歌詞の意味するところなどをあれこれ調べたり考えたりするんだけれど、いざ演奏する時には、いったん全部忘れてから音を立ち上げる、みたいな感覚と似ているなあと思ったのです。

他の演奏者の方は知りませんが、私はいつもそんな感じです。

「情報」と「作品演奏の実現」には、似ているようで大きなギャップがあり、一繋ぎではない。

情報をより多く手放すほどより大きく自由にジャンプできる、みたいな感じ、と言ったら良いのでしょうか。

(この話題は物語では序盤で、まだストーリーが始まってもいない段階です。)

***

この主人公は「生活のために絵を描く」ということと「本来の自らの創作意欲によって絵を描く」ことの狭間でも悩みます。

芸術関係者には自分のことかと思えるようなテーマでしょ?

今回の新作は、前・長篇作の『1Q84』の世界を踏襲しつつも、いわゆる春樹っぽい文体はかなり身を潜めており、ニュートラルな読みやすい文体だと思います。中編や短編によく出る「やれやれ」は出てこない。「たぶん」が一回だったか。

辺鄙な山奥が舞台となっているので、お洒落なバーやレストランも登場しません。

どうか安心して読んでみてください。