インタヴュー記事(坂本龍馬記念館だより)

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高知県立坂本龍馬記念館だより「飛騰」第87号(2013年10月)に掲載していただいたインタビュー記事です。

インタビュアーは 前田由紀枝氏(高知県立坂本龍馬記念館学芸主任/現代龍馬学会理事)

 

“話題人”インタビュー 月琴奏者 永田斉子さん 研究者から演奏家へ

県立坂本龍馬記念館では、長崎の小曽根家が幕末に輸入した月琴を所蔵している。

龍馬の妻・お龍も小曽根家で月琴を習ったからである。展示資料であった月琴を修繕して楽器として蘇らせて、2007年から数回演奏をした。

当初、月琴奏者はいなくて、最初はハープ奏者に、次いでリュート奏者の永田斉子さんに弾いていただいた。永田さんは「あのときをきっかけに月琴演奏に取り組み始めました」と振り返る。

今秋(2013年)開催される「女性が紡ぐ龍馬さん~龍馬の手紙を読む朗読コンサート」(高知県立坂本龍馬記念館主催)で、永田さんは月琴を奏でる。

東京にいる永田さんとスカイプをつなぎ、月琴への思いを聞いた。

月琴との出会い

ーーーーー6年前、初めて永田さんに月琴を演奏していただいたとき、演奏もさることながら、語り口調がとても印象的でしたよ。長崎出身の永田さんと月琴とのつながりに大変興味があります。はじめに永田さんとの月琴との出会いからお話いただけますか。

 

私は長崎出身で、幕末長崎を中心に流行った楽器・月琴をテーマにして大学の卒論を書きました。なぜなら、中学3年生のときに見た『長崎物語』というお菓子のテレビCMが忘れられなかったからです。

そのCMは、中村キラさんという女性が、歌いながら月琴を演奏しているものでした。私は小学生のときからギターを習っていて、興味がわきましたね。なんていう音楽なんだろう。何語で歌っているんだろうって。

キラさんは小曽根流月琴の最後の伝承者と言われています。

月琴にはいくつかの流派があって、長崎には皆さんご存じの龍馬の知人・小曽根乾堂さんが中心となった小曽根流です。大阪や江戸にも流派がありました。

龍馬の妻・お龍さんは小曽根乾堂の娘・キクさんに月琴を習ったようです。そのキクさんに月琴を直接習った、最後の弟子が中村キラさんなんですね。

私は1987年から3年間、中村キラさんに会って話を聞き、伝承曲などをカセットに録音しました。

 

お龍の師・小曽根キクとその直弟子・中村キラ

ーーーーーお龍さんに月琴を教えた小曽根キクさんの直弟子の方を、大学生の永田さんは取材されたのですか。その中村キラさんから。永田さんはどんな話を聞かれたのですか?

 

キクさんは神奈川に嫁ぎ、昭和8年(1933)77歳のとき、長崎にお里帰りしました。そこで、17歳のキラさんはキクさんに月琴を習ったのです。

キクさんは月琴演奏を、芸者さんだったキラさんに教えるということを最初は拒んでいました。月琴は、趣味や教養としての家庭音楽と、お座敷遊とに大別されます。もちろんキクさんは教養高い小曽根家の出身ですからね。

それでも、キクさんがキラさんに教えることを承知したのは、翌年の長崎国際産業観光博覧会で文化紹介のために演奏するということだったからです。ただし、酒席で絶対演奏してはならないという条件つきでね。丸暗記の特訓が1ヶ月続きました。

そうやって習得した月琴の腕を落とさないため、キラさんは練習を欠かさなかったそうです。原爆が落ちたときも、月琴を避難させて人知れず稽古に励んだと言います。

京都と長崎で月琴を学んだお龍

ーーーーーお二人の様子が目に浮かびますね。二人とはキクさんとキラさん。そしてキラさんと永田さん。その向こうに、龍馬とお龍の姿も浮かんできました。

龍馬はお龍に「一戦争済めば山中に入って安楽に暮らすつもり・・・退屈なときに聞きたいから月琴でも習っておけ」と言っています。龍馬は平和な時代が来れば、音楽を夫婦で楽しみたかったのでしょうね。

お龍さんも「あなたに聞いていただくならも少し幼少い時分から稽古して置けばよかった」と言っていますしね。

 

そうですね。長崎の小曽根家でお龍さんが月琴を習ったことはよく知られていますね。慶応2年(1866)の新婚旅行も終わり、龍馬が習わせたということは。

じゃあ、お龍さんはこのとき初めて月琴を弾いたのか。

そうではないですね。前年の慶応元年9月9日、お龍のことを紹介した乙女姉さん宛の龍馬の手紙に「右女はまことにおもしろき女にて月琴をひき申候」とあります。長崎に行く前のことです。

つまり、お龍は京都ですでに月琴を習っていたのですね。大坂には平井連山という先生がいます。その一派に習っていたのでは。お龍は医者の娘で、漢方つまり中国についての造形が深い医者なら月琴に親しんでいたことは考えられます。医者の娘として、父が生きていた頃に弾いていたのではないでしょうか。

お龍さんに月琴の経験はあっても、大坂と長崎では流派が違うので、小曽根家ではちょっと苦労したかもしれませんね。それでも、父がいたころの幸せな生活を思い出していたことでしょうね。

 

150年前の月琴で今も演奏

ーーーーー月琴に流れる哀愁を感じる話ですね。思えば、私たちはお龍さんを通じて月琴を知ったようなものです。お龍さんは月琴の功労者かもしれませんね。月琴は、ファとシに当たる音階がなくて、少し調子はずれのようなたどたどしい音色ですね。曲も限られているそうですね。永田さんから見た月琴についてお話下さい。

 

私たちが今手に入れることができる月琴というのは、実はほとんどが幕末~明治の、今から150年ほど前の当時のものです。素材は軽い桐でできています。

私自身、月琴に対しては文献などで記録する研究者という、いわば傍観者的な立場にいました。人前で我流で弾いてしまって、伝承を変える不安があったからかもしれません。

しかし、記念館所蔵の月琴を弾いたときから気持ちは変わりましたね。弾くからには音楽的にいい演奏をしたいと思うようになりました。450年前のリュートに比べれば、月琴はまだ150年前のものですしね。

私が秋のコンサートで演奏する予定の「九連環」や「茉莉花」という恋の歌は幕末当時のものですが、私が独自に復元した明治時代の曲も披露します。

私の月琴も明治時代のもので、号を“乙女”と“照葉”と言います。シャー新の私が持っている月琴は“乙女”です。楽器の持つオリジナルの良さを生かして、これからもいろいろなところで演奏していくつもりです。

 

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