【本】人間はなぜ歌うのか?
出会う前と後とでは、まるで世界が違って見える、という体験を時々することがある。新しい眼を与えられ、違う角度から眺める視点を得るというか。
それは人との出会いであったり、音楽であったり。そしてこの本がまさにそうであった。
『人間はなぜ歌うのか?』
人間の進化における「うた」の起源
ジョーゼフ・ジョルダーニア・著/森田稔・訳/アルク出版
著者は旧ソビエト連邦、グルジアの出身でオーストラリア在住の音楽家・音楽学者である。ポリフォニー音楽の世界分布についての研究で2009年度の小泉文夫音楽賞を受賞、この本が初の日本語翻訳本となる。
冒頭から驚きの連続である。もうこれは「読んでみて!」というしかない。
古楽を聴いていると、グレゴリオ聖歌のような単旋律からポリフォニー音楽が生まれたと思いがちだが、もっと長い時間軸、あるいは地球規模での広範囲で見ると、実はその逆だという。
人類の原初にはポリフォニー歌唱があり、随分と後になって音楽が職業化していく過程で、モノフォニー歌唱が生まれたという。
これだけでもびっくりする。
また本書は、文化人類学あるいは進化論の視点から音楽を見つめ直す。
人類が、長い進化の過程で、いかに猛獣から身を守り存続し続けるために工夫してきたか。
その中でハミングすることや歌うことが必要かつ有効であったことなどが語られ、BGMもその延長上にあることなどが示される。
読んでいて実に面白い。先日話題になった「電車内でクラシック音楽をBGMとして流す」というニュースは、この観点から見るとどういうことになるのだろう。
そしてこれは小さな話題ではあったが、ネット上でもしばしば議論になることに関連するので書き留めておく。
「音楽能力が右脳に位置し、言語能力が左脳にあることに関して、いくつかの新しい事実がわれわれの知るところとなり、音楽信号が幼児の頃から学習されると、それが人間でも動物でも左脳に位置されるということがわかった。・・・(p.225)」
絶対音感教育の是非、大人になってからの読譜が難しいことなどの問題を考える上で参考になる医学的指摘だと思う。
この本は気軽に読めるエッセイではないが、翻訳が良く読みやすい。
コンサートという音楽形態がいかに狭義のものであるかを知ることによって、また演奏への思いも変わる。そしてしみじみと人間という存在に対する不思議さと愛おしさを覚えるのである。