【本】仰げば尊し〜幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡
「仰げば尊し 幻の原曲発見と『小学唱歌集』全軌跡」(櫻井雅人、ヘルマン・ゴチェフスキ、安田寛・著/東京堂出版、2015年)
バラッドチューンについても同様だが、誰が作詞・作曲したかが不明の古い音楽、あるいは外来音楽の、歌詞と旋律、それぞれの伝播とそのルーツを辿り、定義するのは非常に困難を伴う。
何か発見があるのかどうかも不明なまま、無心に、膨大な量の資料を何年にもわたって収集、調査・分析していく著者たち。
その根気強さと執念に感服してしまう。私はこのような人間の姿にめっぽう弱い。
*
この本の前半は、誰もが知っている曲『仰げば尊し』のルーツが意外にも不明であった、その理由と、今回の発見によって特定されていく過程が述べられる。
一般書向けに文章は平易であるものの、構成や論理展開はガチの論文と同様であり、音楽学&英文学の研究のすごさをまざまざと見せつけられる。
後半は、『小学唱歌集』全体について、そもそもなぜ明治時代になって「西洋音楽」を教育に導入しようとしたのか、明治政府側の意図、そして導入に尽力したアメリカ人についてと、その目論見が解き明かされる。
ちょうど同時期である明治10年〜20年代のころ、月琴の楽譜が大量に出版されているのだが、その背景を考える上で参考になりそうなので、下記をメモしておく。
近代化にあたり、国民は新しいアイデンティティを持つ必要に迫られた。
江戸時代まで音楽はそれぞれの社会的身分や階層ごとに分担されていた(例えば武士の音楽は能楽)。
明治政府はそのような音楽の機能と権力を熟知していたため、新しい時代においてはあえて、公式の場に日本の伝統音楽を導入しないことにした。
例外は宮廷の雅楽であった。雅楽は天皇の象徴で、天皇は新しい時代に以前より重要な役割を果たしたからである。(第10章より)
さて、日本に西洋音楽がもたらされたのはこれが初めてではない。
16世紀にキリスト教布教のため来日した南蛮人によって、聖歌が伝えられ、セミナリオでは日本人の子供たちがそれを学び、天正遣欧少年使節たちはリュートやオルガンなどの楽器を演奏したことがわかっている。
宣教師たちが、音楽をキリスト教布教の手立てとしたことは自明であろう。言葉が上手く通じない異国の民衆相手であれば、なおさらである。
では、明治初期の西洋音楽導入にあたっては、この点はどうだったのか。
『唱歌集』のうちの一部は賛美歌をルーツとしており、その導入に尽力したアメリカ人サイドには、やはり日本でのキリスト教伝道の意図があったことが明らかとされていく。
それに対し、明治政府も、主を讃える歌詞の部分を 明治天皇を示す歌詞に訳したり、と一応の抵抗を試みている。(ちょっと笑えた)
*
膨大な、複雑な歌にまつわる諸問題を扱う中で、はたして「歌の実体とは何か」という究極の問いが発せられる。「物理的に存在する音なのか」「楽譜なのか」それとも現代の大衆音楽においては「録音なのか」・・・と。
そして最終的に「歌の実体は記憶である」という答えに辿りつく。
取りも直さず、問題の「仰げば尊し」という曲そのものが、歌われる場の記憶と緊密に結びついているがゆえに(そのルーツがどこであるか知ることなしに)日本人の心に深く残る曲となっているのだから。
このことは、『小学唱歌集』という有史以来初めての、前代未聞の、一民族の歌の記憶をまったく新しく記憶し直すという壮大な実験が成功した証になっているのである。(第12章)
という言葉が重い。
*
さて、このような明治時代にあって大流行した月琴音楽(明清楽)とは、当時の人々にとってどのような存在であったのか。またそれが衰退に向かう時、日清戦争の影響だけでない他の原因があったのかどうか、考えてみようと思う。