浦上玉堂 特別展
浦上玉堂
「画法は知らず、ただ天地の声を聴き、筆を揮う」というキャッチコピーに惹かれ、「浦上玉堂 特別展」に出かけてみました。
浦上玉堂は 幕末の文人墨客の一人。画家であり、七弦琴の楽譜『玉堂琴譜』(1791年)を出版した人です。
岡山藩支藩に仕えていたものの、どうしても絵が描きたくて、50歳で二人の息子を連れて脱藩。その後、絵画と七弦琴に明け暮れる放浪生活を送ります。二人の息子、春琴と秋琴も文人として活躍しています。
脱サラ、あるいは早期退職して好きなことに賭ける人というのは、江戸時代にもいたんですね。
浦上玉堂のサイトのデザインがなかなか攻めていて、一見の価値ありです。
月琴と文人墨客
月琴音楽が唐から長崎に伝わったのち、まずこの「文人墨客」と呼ばれる人々によって全国的に広められていきます。私は、江戸時代の美術にも漢詩にも儒学にも疎くてなかなか勉強が進まないのですが、彼らがどんなふうに月琴を吸収していったのかを知りたいと思い、このような展示会にはなるべく足を運ぶようにしています。
ポスターからも察せられるように、絵画はすべて水墨画、モノトーンの世界が広がります。白黒写真の雰囲気にも似て、とても落ち着きます。
中でも、初期のスケッチブック的な冊子『山水画帖』は、筆使いの多彩なヴァリエーションが示され、余白のバランスが良く、魅力を感じました。それに加えて、その題を書いているのが貫名海屋であることに気がついて、一気にテンションが上がりました。
というのも、貫名海屋の漢学の弟子に、楢崎将作、つまり坂本龍馬の妻、お龍の父がいます。楢崎家は、貫名海屋の他の門下生(いずれも文人たち)とも家族ぐるみで交流がありました。この辺りに「お龍がなぜ月琴を弾いていたのか」の理由があると考えています。この数日後に朗読音楽会「月琴で綴る龍馬の手紙」公演を控えていた私は、共通の友人を見つけたような親近感を覚えたのでした。
七弦琴を弾きたくて、弾きたくて
七弦琴は、奈良時代には唐から日本に伝来していた楽器で、上記の通り、箏のように置いて弦を弾く(音が出る構造は少し異なる)楽器です。
最晩年になっても「七弦琴を弾きたくて、弾きたくて、たまらない」の言葉を残した玉堂。
そんな歳になっても「リュート弾きたい、月琴弾きたい!」と思う情熱があるかどうか・・・私はちょっと自信がありません。
ちなみに、この美術展を開催していた東京黎明アートルームという美術館は、とある宗教団体が所有・運営しています。
何か勧誘されたらどうしよう・・とやや身構え、着物姿で武装し「もし勧誘されたら『月琴って知ってますか?』とこちらから勧誘してやろう」という意気込みで出かけましたが、全然そんな怪しげな気配はなく、受付のお兄さんは「ポスターの写真は撮影OKですよ。一緒に撮影しましょうか?」と親切に言って下さったのでした。