【アート】あこがれの明清絵画〜日本が愛した中国絵画の名品たち〜
若冲も夢中になった明清絵画
2017年10月28日より静嘉堂文庫美術館にて開催中の
「あこがれの明清絵画〜中国絵画の名品たち〜」を観に行きました。
今回の目玉ともいうべき沈南蘋の「老圃秋容図」(1731)に描かれた1匹の猫を
全面にアピールしたポップなチラシとなっています。
何はともあれ、この可愛らしいような、憎たらしような猫を見てみたいと思ってしまいます。
広報&デザイナーさんの勝利ですね。
実際に出かけてみると、墨絵のようなモノトーンの巨大な掛け軸がズラーっと並ぶ
地味な展示なんですけどね。
そして猫はやっぱり可愛いような憎たらしいような表情でした。
明清楽と明清絵画
ところで、私が演奏している月琴という楽器は、明清楽(みんしんがく)で用いられた楽器です。
「明清楽」とは、江戸時代後期に伝来した中国音楽の一種を示すもので、
文字通り「明朝と清朝の音楽」という意味。
しかしながらその実質は「清楽」のみで「明楽」はこれとは別の系統で伝承されています。
さらに、明朝は1368年〜1644年、清朝は1636年〜1912年で、どちらもそれなりに長い王朝なのに、
なぜ「明清楽」と両方を合わせた用語をその音楽の呼称にしているのか。
これが長年の私の疑問の一つでありました。
この名称がいつどこで登場するのかは、今回は省略しますが、
一つ明確に言えることは「明清楽の伝承の系譜=画家の系譜」という一面がある、ということです。
それは以前から認識していたものの、先日偶然にこの展示「あこがれの明清絵画」のチラシを目にして
「これはもしや、西洋でバロックという言葉がまず美術で生まれ、音楽に流用されたのと同様に、
明清楽も美術用語の流用なんでは?!」と思ったのですよ。
それで何かわかるかも!と思って出かけた次第。
まあ、猫はついでです。
明清楽の一言が欲しかった
《文人の楽しみと明清の書跡》というコーナーのパネル文を以下に転記。
・・・江戸時代には中国絵画を愛好する仲間が集い、貴重な明清絵画とともに「文房四宝」と称される筆・墨・硯・紙などを収集し、ともに楽しむことが行われました。
そして明治・大正期になると、明清絵画は煎茶趣味の隆盛と連動し、茗讌(めいえん)と呼ばれる大寄せの煎茶会の展観会でも鑑賞されるようになります。
江戸から明治へと引き継がれた明清絵画愛好の様相を、江戸後期の文人サークルで大切にされた明清絵画や硯、近代に愛好された煎茶道具とともにご覧ください。
絵画のみならず、書跡もまた江戸から近代の人々に珍重されました。
本展示では、特別出品として、明末清初を代表する書家の作品とともにご覧いただきます。・・・・
実際には「この文人の中国趣味の集まりでは、月琴や笛の合奏などの音楽も楽しまれていた。」はずなのだけれど、その一文がないのが惜しいところ。
このコーナーの展示では、頼山陽が所有していた「蘭竹図」(陳曽則)の跋文に
「市川米庵が欲しがったが、俺は嫌だと断った」という話があったりして思わず笑ってしまいました。
頼山陽は月琴音楽と関係がある人物です。
こんな人間味のあるエピソードは、音楽が演奏されていた状況を想像するのに大いに役に立ちます。
この跋文の現代語訳を見ることが出来ただけでも収穫でした。
隣に煎茶道具も展示されており、中でも小さなお茶碗の下に敷かれた「錫製の船形の茶托」がとても素敵でした。
今回の展覧会だけでは、「明清絵画」という用語がどれくらい汎用性のある用語なのか、
また、それが音楽に流用されたと断言できる要素は見つけられなかったので、
引き続き、美術関係の方のご教示をいただける機会を待つことにします。
美術館に行くなら、タクシーでなくバスがオススメ
二子玉川駅からバスで10分くらい。
タクシー割引(領収書をもらっておいて美術館に提示すると200円返金してくれる)を使って
駅から美術館入り口まで直行も良いけれど、
もし天気が良くて足腰が丈夫で時間に余裕があったら、バスで行くのをオススメします。
なぜなら、バス停で降車してから美術館までの、5分ほど歩く緩やかな坂道が
実に素晴らしい景色だからです。
冬晴れの柔らかな陽射しの中できらめく紅葉。
降り注ぐような鳥のさえずり。
黄色い銀杏の葉っぱが敷き詰められた道や水面。
あぁ、東京都内でこんなリラックスできるところがあるなんて・・・。
また季節が変わった頃に出かけてみたい美術館でした。
次回は着物で行こうっと。