江戸時代のロックスター【本】頼山陽
月琴に関する資料を調べていくと、どういう方面から攻めていっても、なぜか必ず「頼山陽」に行き着く。
この数年間、私の前に頼山陽は高い壁のように聳え立って、私はそれを仰ぎ見るだけで登るにも登れない、登っていくルートも手がかりも掴めず、その前を右往左往するばかりだった。
そして今回読んだ小説「頼山陽」(見延典子/徳間書店)。
読み始めたら一切を放り出して読みたくなる、抜群に「読ませる」小説である。
これは、坂本龍馬についての「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)、ジョン・万次郎についての「椿と花水木」(津本陽)、三浦按針(ウィリアム・アダムス)についての「航海者」(白石一郎)みたいな位置づけだと思う。
頼山陽の人柄と思想は、この時代にあっては狂人扱いされても仕方ないであろう。作者が「江戸時代のロックスター」と呼ぶその人生は、常識はずれの破天荒であり、膨大なお金を浪費したり稼いだり、書物に没頭したかと思うと旅に出たり、欲しいものは人のものでも奪い取るといった具合で、要はその振れ幅が大きすぎるのである。
山陽を取り巻く女性たちも、文芸に通じ、そしてたくましい。
坂本龍馬やお龍のような人物がいきなり登場したのではない、ということがよくわかる。
この本に出会ったことで、頼山陽という山を「ヘリコプターに乗って空から眺めてみた」という気がした。登れそうなルートの見当がついたかもしれない。
同じ著者による短編集。頼山陽の周囲にいた人物として梁川星巌と紅蘭夫妻の物語も含む。
2年前の冬、「頼山陽とその時代」(中村真一郎)を読んで、頼山陽その人にも、またこの本の著者である中村氏にも心酔した。これが、中村氏の鬱病休養中に取り組んだ仕事だということにも心打たれる。しかしながら、内容はとても難しい。今、再読したら少しはわかるだろうか。
▽どうやら文庫は上、中巻はあるものの、下巻が品薄の模様。
(ブログ上部の写真、私が読んだのは上下巻のみの単行本)