【本】スペインの貴公子フアンの物語

スペインの貴公子ファンの物語

『スペインの貴公子ファンの物語〜レパント海戦総司令官の数奇な運命』(西川和子・著/彩流社)

ファン・デ・アウストリアって誰?

ファン・デ・アウストリアとは、神聖ローマ帝国カール5世(=スペイン国王カルロス1世)の隠し子(庶子)にあたる。すなわちスペイン国王・フェリペ2世の庶弟。

1571年オスマン・トルコとの「レパントの海戦」において指揮をとり、大活躍したことで知られる。

 

舞踏家ネグリがフアンの艦船上で踊った?

さて、この本を読んだ目的は2つ。

1)舞踏家チェーザレ・ネグリ Cesare Negri のwikipediaの項に「レパントの海戦の際、フアンの艦船のデッキでネグリが舞踏を披露した」という表記があるが、それはどのような状況だったのか、を確かめたい!

→ 結果。ネグリは登場せず。

 

『ドン・キホーテ』を著したセルバンテスがこの戦いに参加しており
「数世紀に一度あるかなきかの大舞台」と評したこの戦いで、

・そもそもなぜそこにネグリがいたのか、
・そしてどんな目的のために踊ることになったのか、

謎は深まるばかり。

この一件で、それまで何とも思っていなかったネグリの作品が(自分の中で)急にイメージアップして、演奏のレパートリーに加えられたので、ひとまず収穫あり、としよう。

 

育ての親はビウエラ弾き?

目的その2)育てたビウエラ弾きの名前を確かめる

カール5世が存命中はフアンは公にされず、密かにビウエラ弾きが育てた、という情報あり。

そのビウエラ弾きとは一体だれ?

→ 答え「フランシスコ・マッシイ」(知らんわ。誰それ?)

マッシイは、カール5世の宮廷のビウエラ弾きとして、長いことフランドルの宮廷に仕えていた。年老いてビウエラ弾きの宮仕えを引退したい旨カール5世に申し出たところ、引退は認められが、それと同時にこの子供を託され、故郷に連れて帰り、妻とともに「さる、高貴な方のお子」として育てた。

 

これからわかることは、

  • スペインだけでなく、フランドルの宮廷にもビウエラ奏者が仕えていた。
    (カール5世はフランドル生まれでスペイン語を話さない。にもかかわらず)
  • 楽譜を出版していないビウエラ奏者もいる!(まあ、これは当たり前)

 

ビウエラとリュート

スペインでは、リュートのことを「フランドルのビウエラ」とも呼んでいた例があるので、ビウエラという言葉を巡る問題は一筋縄ではいかない。

かたや、ナルバエスのようにリュート用タブ譜として出版されている例もある。

「スペインものはビウエラ、それ以外はリュート」と国によって区別するのではなく「両者の区別は思ったより緩く互換性があった」「ビウエラはギター型のリュート」ぐらいに考えるのがいいのでは、と最近は考えている。

何せ、16世紀のスペインは、イベリア半島、フランドル、イタリア、南米までも領土を広げてており、更にフランスやイギリスとも婚姻関係によって結ばれていた。

人が行き来するところには、当然、文化の交流があるからだ。

以上、ちょっとした読書メモ。

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