『日葡辞書』における楽器について〜violaは何を意味するか?
キリスト教宣教師たちが伝えた西洋楽器
「ザビエル来日以降、スペイン・ポルトガルのキリスト教宣教師たちによって、どのような西洋の楽器が日本に持ち込まれていたのだろう?」
「日本人もそれらの楽器を弾いていたのだろうか?」
この問題は、私たちのロマンチックな想像を掻き立てることもあって、高い関心が寄せられてきました。
少し調べると、セミナリオでの音楽教育についてなど楽器に関する記録はわりと残されているものの、ポルトガル語の記録であるため、つまるところ、そのポルトガル語が示す楽器の定義が難しく、研究者によって見解が異なります。
その一つが、viola(viole)ヴィオラという言葉でしょう。
*このviola という言葉がどこに記録されているかなどについては、今回は記載しませんが、興味のある方は、末尾の参考文献などをご覧ください。
violaの種類と奏法による分類
この時代の 【viola】という言葉について簡単に整理しておくと・・・。
広義の【viola】 とは「棹のある箱型の共鳴胴に弦が張ってある構造の楽器」全般を指します。
言語が違うだけで、楽器分類上、viola はvioleやvihuelaやluteの広義の意味と同様と考えてよいでしょう。
この広義の【viola】は奏法の違いによって以下の通りに分類されます。
❶viola de arco=弓で擦って弾く(擦弦・さつげん)=ヴィオラ・ダ・ガンバなど
❷viola de mano=指ではじいて弾く(撥弦・はつげん)=いわゆるビウエラ、リュートなど
❸viola de plectro=手に持ったピックで弾く(撥弦楽器)
など。
撥弦楽器は、中世のころまでは❸のようにピックを持って演奏していたのですが、16世紀に対位法重視の作品へと様式が変化したことで多声部を演奏する必要が生じ、ピックを捨てて❷のように指先で弾くようになります。
従ってここでは、暫定的に❷と❸はまとめて一つと考えることとし、単純に「弦を弓で擦るか」「弦をはじくか」という2つの分類で考えていきます。
violaの意味するところ
この時代に残された記録の中で、「viola de arco」や「viola de mano」とフル表記で書かれていれば、それが擦弦楽器なのか、撥弦楽器を示しているかは明確です。
ところが、ただ単に「viola」と書かれている場合、それはどちらを指しているのか?
宣教師たちにとって「viola」という言葉の第一義の意味はどちらだったのか? という問題が生じます。
まずは、ポルトガル人がこの「viola」という言葉をどういうものに対して使っているのか、当時刊行された辞書『日葡辞書』における表記を見てみることにしたいと思います。
『日葡辞書』とは
『日葡辞書』とは
- 原題は 『VOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPAM com a declaração em Portugues』
=ポルトガル語の説明を付したる日本語辞書 - 日本国外から来る宣教師たちが日本語を学習するための文法書、および辞書として編纂されたもの。
- 1603年、日本イエズス会によって長崎で刊行され、続いて翌1604年にその補遺の部が出版された。
- 32,000語以上の日本語が掲載されている。
という宣教師たちと日本人合作による力作なのです。
『日葡辞書』1ページめ。
こんな調子で、A(あ)から始まる日本語が、ポルトガル語式ローマ字表記で書かれ、その用語の意味や用例がポルトガル語で解説されています。
例えば、右側の列には、Abaraya(あばらや)・・・ Abare(暴れ)・・Abumi(あぶみ)などの言葉が見えます。
ここでは、この『日葡辞書』を全部日本語に訳した『邦訳 日葡辞書』(土井忠生・森田武・長南実/編訳、 株式会社岩波書店/出版、1980年)から、楽器に関係する言葉を拾ってみたいと思います。
「琴」=cravo de tanger
Coto. コト(琴) 日本のハープシコード1)。
※1)原文ではCrauo de tanger(弾奏するハープシコード)。
『邦訳 日葡辞書』より引用
Cravoは鍵盤をもつ絃楽器で、ハープシコード(クラブサン)のことであるが、cravo単独で、あるいは、Cravo de Iapão(日本のcravo)の形で、わが国の琴や琴(きん)にあてて用いている。
violeとは関係ありませんが、楽器の一つとして「琴」の例を挙げてみます。
読みのローマ字表記・カタカナ表記・漢字表記に続き、ポルトガル語でその言葉の意味や用例が続きます。
「琴」は一見「ハープ」の仲間かと思いましたが、板の上に、地面と水平方向に多数の弦が配置されるという構造により、ハープシコード(クラヴサン)の仲間に分類されています。
「ハープシコード」の部分はポルトガル語による説明を編訳者が日本語訳した部分なので、そこよりも ※1)の注釈部分が重要です。
ポルトガル語原文では【Crauo de tanger】をあてています。uはvと同じなので、【Cravo】=鍵盤楽器、「tanger」はラテン語またはイタリア語古語で【触れる】の意味。
弦を「鍵」を介して叩く又は引っ掻くのがCravo、「琴」は鍵を介さないという意味で【Crauo de tanger】ということでしょう。コピーし忘れましたが「琴爪」の項もあります。
◎この例から、楽器の構造だけでなく、奏法についても区別して説明されていることがわかります。
「琵琶」=viola
Biua. ビワ(琵琶)琵琶。
1)Biuauo tanzuru, l, fiqu. (琵琶を弾ずる、または、弾く)琵琶1)を弾奏する。Biuauo xiraburu(琵琶を調ぶる)琵琶1)の調子を整える。
※1)原文はviola(ビオラ)。絃楽器であり、形も似ているので viola de Iapão(日本のビオラ)、または、viola単独でわが国の琵琶にあてている。
すでに羅葡日のCithara の条その他に、葡語の viola と日本語の biua を並べた対訳が見えている。
▶Fiqinaraxi; Yotçuno vo.
『邦訳 日葡辞書』より引用
次に、いよいよ問題のviolaが登場する「琵琶」の項です。
※訳注で、原文では「viola de Japan(日本のビオラ)」または 【viola単独】をあてている点に注目!
文末あたり「すでに羅葡日の・・・」とは、『羅葡日対訳辞書』のこと。これは、日葡辞書に先立つ1595年に、同じく長崎でイエズス会宣教師と日本人修道士たちによって刊行されたラテン語・ポルトガル語・日本語の対訳辞書で、こちらも収録語数約3万語。
この『羅葡日対訳辞書』は未見ですが、上記の注釈によると、すでに1595年のこの辞書に【viola=琵琶】が登場しているとのこと。
「弾き鳴らす」
Fiqinaraxi, su, aita. ヒキナラシ、ス、イタ(弾き鳴らし、す、いた)楽器などを鳴らす。
例・Biuano catachiuo tçucuri, vmano vouo caqe fiqi naraxi, &c. (琵琶の形を作り、馬の尾を懸け鳴らし、云々)
Fox.(発心集)巻四。
1)琵琶2)の形を作り、それに馬の[尻尾の]剛毛を絃としてかけて鳴らした。
※1)流布本発心集、七、太子御墓覚能上人好管絃事。
※2)原文は viola.[Biua(琵琶)の注)
『邦訳 日葡辞書』より引用
これも、琵琶に viola というポルトガル語があてられている一例ですが、この項は「Fiqinaraxi 弾き鳴らす」という動詞の用例で琵琶が登場しているだけなので、慌ててはいけません。
用例文「琵琶の形を作り、それに馬の[尻尾の]剛毛を絃としてかけて鳴らした」は ※1)流布本発心集 からの引用で、この『発心集』は12−13世紀の日本の仏教説話集。
そのころの日本の琵琶は、馬の尻尾の剛毛を絃としたのか?という、また別の疑問が湧いてくるのですが、ここでは深追いしないでおきます。
※2)のように琵琶に violaをあてている参考例として挙げておきます。
「三味線」=violaの一種
Xamixen. シャミセン(三味線) 三絃の或る種のヴィオラ1)。
※1)原文は viola. violaは琵琶にあてて用いた例が多いが、ここでは三味線をその一種と見てあてたもの。
『邦訳 日葡辞書』より引用
次に、撥弦楽器の一つで、15-16世紀に琉球経由で伝来した楽器、「三味線」の項を見てみましょう。
『邦訳 日葡辞書』の本が分厚すぎて、画像がクニャーっと歪んでいる点は、ご容赦下さい。
※1)の注釈通り、三味線を violaの一種ととらえ、弦の数を3本と的確に表現しています。
ここでも、viola単独で、琵琶に対して用いられています。
まとめ:『日葡辞書』でのviolaの意味
以上、『邦訳 日葡辞書』3万語から見つけた、弦のある楽器に関する用語をざっと挙げてみました。もしかしたら他にもあるかもしれません。
「これらは日本の楽器についての説明だから意味ないのでは?」という指摘もあるでしょう。
しかし、ポルトガル人がこの辞書を引く時、琵琶を目の前にしているのではなく、「琵琶 biua」という日本語の言葉を聞いたり目にした時、その意味を知りたいのです。それに対して、日葡辞書は彼らが「パッとイメージしやすく、よく知っている楽器で最も(琵琶に)似ている楽器」を挙げているのです。
この辞書以外の記録も、西洋側に報告された、あるいは西洋側に日本の情報を伝えるために書かれた記録は、それを見たことがない西洋人にわかるような例えで説明されているはずです。
「弦を弓で擦るか」「弦を弾くか」は、演奏する姿も出てくる音も、大きな違いがあります。
「琴」の項で見たとおり、楽器の構造だけでなく、奏法の違いについても細かく区別して訳があてられています。
もし仮に、 violaが一義的に擦弦(さつげん)楽器を意味しているとするならば、それと区別するために、当然、琵琶には ❸の viola de plectro のような訳語が当てられているでしょう。
なお、セミナリオなどでの楽器に関する記録などには、「viola da arco」という言葉がいくつか登場します。それらは紛れもなくヴィオラ・ダ・ガンバなどの擦弦楽器と考えてよいと思いますが、わざわざ「viola da arco」と限定した表記をすることで、撥弦楽器を示すviolaと区別しているとも見ることもできます。
以上のことから、ポルトガル人が単に viola と表記するする時、それは「撥弦楽器」が想定されていると考えられます。
『ヨーロッパ文化と日本文化』(フロイス)での viola
次に「そもそも琵琶は撥で弾く楽器(❸)に分類されるのに、それはどうなの?」という指摘もあるでしょう。
では、別の記録として『ヨーロッパ文化と日本文化』(ルイス・フロイス/著・岡田章雄/訳注・岩波文庫)を参照してみましょう。
この書物は、当時の日本の音楽と西洋音楽について非常に興味深い比較がなされているのですが、その中でのヴィオラについての記述を引用します。
われわれのヴィオラは六本の糸が二重に張ってある。そして手で弾奏する。日本のものは糸が四本で、一種の櫛を用いて弾く。
『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス より引用
ここでの「六本の糸が二重に張ってある」とは、リュート奏者にはすぐわかりますね!まさに、ビウエラまたはリュートの複弦仕様のことを指しています。
これがフロイスたちにとっての「われわれのヴィオラ」なのです。
そして、日本のもの(日本のヴィオラ)は糸が四本、これは琵琶を指しています。
さらに奏法の違い、❷指で弾く、と❸ピックで弾く、の違いも認識していて「われわれのヴィオラは指で弾き、日本のものは一種の櫛(つまり撥)で弾く」と正しく表記しています。
もし violaが、第一義として弓で擦る弦楽器を意味するなら、この部分は「われわれのヴィオラは弓で擦る」となるでしょう。
この時代における音楽事情は、日本人が初めて西洋音楽に触れたという体験でもあり、その受容の過程には非常に興味をそそられます。しかしながら、それに続く禁教令によって、日本側の記録は乏しくなかなか全貌を捉えるのは難しいジャンルともいえます。
この時代の音楽事情について、わかりやすく、そのものズバリをまとめてあるのは、『南蛮音楽 その光と影〜ザビエルが伝えた祈りの歌』(武井成美/著・音楽之友社)です。
また論点は違うのですが、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の神戸愉樹美氏による研究論文も参考になります。関係する部分は論文末尾の注釈で、violaが撥弦楽器とは考えられないとする説。未読の方は、こちらもどうぞ。
▶『胡弓とrabecaーソフトとしてのキリシタン起源説ー』神戸愉樹美, 日本伝統音楽研究第7号 , 2010)
この時代の音楽を聴いてみるなら。CDはこちら↓
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