長谷川時雨『明治風俗』に記された月琴の流行と衰退の理由

長谷川時雨作品集
 
 
 
 
先日、長谷川時雨作品集(尾形明子・著/藤原書店)に収録されている『明治風俗』という随筆を読んでいたら、次のような文章があったので、引用しておく。
 
 
 
 日清戦争は、三国干渉の悲憤にじっと忍耐しただけ、それだけ内面的飛躍は素晴らしかった。この戦争が起きるまで、欧風心酔の反動で、唐ものも流行していたのだ。毛氈に紫檀の机をおき、唐木唐筆、孔雀の羽根を筆立てに挿し、ことに煎茶は好事家の間にもてはやされた。月琴もはやっていた。
 
 月琴の師匠は、それ者(しゃ)あがりの上品づくりの年増などで、男の弟子も多く、高等稽古所であって、清楽の合奏を本式にやるところもあったが、両国の宣戦布告となると、何にしても相手が大国であり、ことに太閤さま以来外国とそういう交渉がなかったこととて、勝つ信念はあっても、日本は負けぬ国とおもっていても、ハッと息を飲み、拳を握っただけ、それだけ、小国と侮られていた無礼が、敵愾心を煽った。
 
「なんだ、まだ止めないで、キュワキュデスーーーなんぞと、チンチロチンチロ弾いてやがる。」
 
 血の気の多い若い衆が、時は初夏ではあったし、簾越しに透いて見える清楽指南所の窓へ、小石を投げつけるという、いささかは、日頃の岡焼きも手伝ってであろう暴行に、戸を閉めて稽古はやっていたが、白日にそうした事件(ことがら)が増えるので、みんな逼塞してしまった。
 
 その後、月琴はすっかり忘れられてしまった。おなじように抱える楽器で琵琶が全盛になった。
19世紀はじめに長崎へ伝わった月琴は、幕末には主に文人たちによって嗜まれ、明治期に入ると広く(上流の)家庭音楽として普及したが、大正期になると衰退していく。
 
そのおおまかな流れは、CD「月琴 MOON LUTE」添付の解説を参照していただけるとありがたい。
 

月琴が大流行した理由

月琴でも、リュートにしても「どうして衰退したのか」と質問されることが多い。
 
しかしながら上記文中で私が注目したのは、月琴衰退の原因ではなく、むしろ明治初期〜中期に月琴が大流行した理由の方であった。
 
この戦争が起きるまで、欧風心酔の反動で、唐ものも流行していたのだ。・・・月琴もはやっていた。
 
これは、明治時代に入ると、それまで鎖国していた江戸時代から一転して急速に西洋文化が推し進められていき、その流れについていけなかった人々が反動として清楽へとのめりこんでいった、ということだ。
 
あるいは西洋文化と比較することによって、東洋文化の魅力を再発見した、ということかもしれない。
 
この点を、私は全く思い及んでいなかった。
 
 
明治時代になって月琴が流行したのは、それまで文人という教養ある人々に限られていた文化が、単純に「普及&一般化」されたから、だと思っていたのだ。
 
西洋文化へと人々の関心が移っていったことが、むしろ月琴衰退の一因でもあった、とさえ考えていた。
 
 
いくら明治政府が西洋諸国に追いつけ追い越せと旗を振ったところで、所詮、西洋文化は異文化である。
 
一般市民が馴染むには心情的にも抵抗があり、消化するには時間もかかる。
 
日常の楽しみとしての音楽は、手っ取り早く、邦楽か、ちょっと洒落た清楽を、という選択だったのだろう。
 
大きな発見であった。
 
 

月琴が衰退した理由

 
日清戦争が衰退の一因であったことはすでに指摘されており、月琴楽譜集の発行禁止令も残っているのでそれほど新しい情報ではない。
 
月琴弾いている者へ小石を投げつける、という記述は、他の文学作品にもいくつか見られる。
 
上記は戦争という社会情勢が、一般市民の心情や音楽文化への評価をどう変えていったかを、短い文章の中にも細やかに描写している点が目をひく。
 
実際には、日清戦争後も月琴と楽譜は存在しているが、その実態と内容は大きく変容していった。
これについての詳細は、ここでは省く。
 
 

チンチロリンチロ弾く月琴

小石を投げつけつつ放たれる罵声には、ちょっと笑ってしまった。
 
 
「なんだ、まだ止めないで、キュワキュデスーーーなんぞと、チンチロチンチロ弾いてやがる。」
 
 
キュワキュデスーーとは「九連環」のサビのところの歌詞だろう。ちょっと違うけれど。
 
「チンチロチンチロ」という擬音は、鈴虫が鳴く音にも似た月琴の音の描写にふさわしい。
 
罵声に笑ったり感心している場合ではないが、この一文は面白い。
 
 
 
ええ、私はこれからも、チンチロチンチロと月琴弾いて、キュワキュデスーーと歌いますよ!
 
 
 
 
 
 
 
*なお、この『明治風俗』の作者、長谷川時雨には別に短編小説『月琴指南』があり、図書館の複写サービスで入手したが、webでは非公開作品につき、転載には手続きが必要である。
 
非常に面白い作品だったので、いずれ何らかの形で皆さんと共有できる方法を考えている。