大村純忠のクリスマス

2018年もあと残りわずかとなりました。今朝は差出人【救世主】からの迷惑メールを受け取り、妙なところでクリスマスが近いことを実感しました。

降誕劇

さて、日本で最初のキリシタン大名となった大村純忠はどのようなクリスマスを過ごしていたのでしょうか。日本にいたポルトガル人がイエズス会へ宛てた書翰に、その様子が記されていますので、引用してみます。

・・・ドン・べルトラメウ(=大村純忠)は我らの主ゼズス・キリストの降誕を祝すため、ジョゼフの一生その他のことを彼等の風により実演して公衆に示すことに決し、降誕祭の夜、牧羊者の厩に来たりしこと、および他の劇を演じ、夜半に至れり。

会堂にはドン・べルトラメウおよび未だ異教徒なる夫人その他の夫人ら列席せり。・・

『イエズス会士日本通信』1569年付。無名のポルトガル人が日本よりポルトガルの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰

これが金曜日のことで、純忠は同様の劇を土曜日にも上演しようと思ったところ、雨となり寒くなってきたので、日曜日に延期。

この1日延期になったことで、純忠は、会堂内ではなく隣接する場所に大きな舞台を作り、見学したい者全員に見せよう!と考えました。

そこで舞台の周囲に多数の桟敷席を設けたところ、当日には何と2000人以上が集まったと記されています。2000人というのはもうこの村のほとんど全員ぐらいの規模ではないでしょうか。劇の後、彼らがどうなったかというと・・・

 これ等のキリシタンおよび異教徒は皆、踊り歌い、またその楽器を弾奏せり。ドン・ベルトラメウもまた大なる満足をもって同事をなしたり。けだし異教徒が我らの主の降誕を崇め、また祝する方法なるがゆえなり。

最初の書翰で「彼等の風に」書かれているように、大村純忠はもともと「彼らの風(=日本人風)」によって降誕劇を実演して公衆に示すことで、クリスマスを祝おうとしていたことがわかります。

もちろん聖歌ぐらいは歌ったかもしれませんが、異教徒も混じって歌い踊り・・となると、だいぶ座は乱れ崩れて、人々が大騒ぎしている様子が思い浮かびます。弾奏した楽器が何なのかも気になりますが、少なくともリュートではなさそうですね。

クリスチャンでなくても、なぜか非常に盛り上がる現代日本のクリスマス。その発端は、大村純忠にあるのかも。

このようなセミナリヨ劇での音楽事情については、海老沢有道『洋楽伝来史』、横田庄一郎『キリシタンと西洋音楽』に詳しいので、興味のある方はチェックしてみてください。