【本】〈裏〉日本音楽史〜異形の近代〜
月琴音楽や明清楽が、邦楽の歴史あるいは日本音楽史の「表舞台」から全く無視されているので、
「表がダメなら裏ではどうか?」と思って読んだ本。
(輪になっての吹奏楽隊の絵が、呪詛的儀式をしているように見える)
〈裏〉日本音楽史 異形の近代 齋藤桂・著 春秋社
結論としてこの『〈裏〉日本音楽史』でも、一言も明清楽については触れられていなかった。
月琴も登場しない。
漢学と国学、という言葉までは出てくるのに、惜しい。
その意味では何も収穫はなかったのだけれど、
オカルトティックな音楽理論(当時は至って真面目に議論されていた)や、
政治的背景に影響を受けすぎてトンデモなく飛躍した沖縄音楽論など、
他の音楽書では決して登場しないであろう文字どおりの〈裏〉事情が展開されていて、実に面白く読んだ。
音楽を思想史から捉えた良書だと思う。
一例として、明治になって西洋音楽が導入された時、日本人は「長調・短調」をどう捉えたか。
1884年文部省が出した『音楽取調成績申報書』には
(原文では難しい言葉で表記されているが、著者が次のように要約)、
「幼児は長調の音階で育てると健康になり、短調の音階だと病弱になる」とある。
日本でも西洋でも音楽を性格の矯正や教育として役立てることはあったが、
明治期においては、上記のような医学風な言い方で啓蒙しようとした。
結果「鉄道唱歌」などの「健全な長調」の曲ばかりが作られた。
しかしその意図に反して、人々の人気が高いのは依然として「短調」の曲であり、
作曲家も「長調はイマイチ作曲意欲が湧かないのよね・・」となる。
長調、短調をめぐって、当時の日本人がオロオロと狼狽している様子が微笑ましい。
音楽そのものも、それを記述する音楽学者も、時代の社会的・政治的背景の影響から逃れられない。
明清楽関係の論文は数が少なく、古いものが多いので、
その辺りも考慮しつつ、クリティカルな読み方が今一度、必要かもしれない。
表の日本音楽史からも裏の日本音楽史からも無視されている明清楽。
楽器製作、伝承、漢文の関係者と協力しあって、もう少し認識されるように頑張りたい。