紫陽花が導いてくれた先には・・・山岡鉄舟・旧邸

終日PCに向かって事務作業をして、ようやく夕方ひと段落した頃。

座りっぱなしで長時間。身体中が凝り固まっている。

こんな時はゴロゴロするより、スポーツ感覚で外をウォーキングした方が良い。

 

読みかけの文庫本『その後の慶喜』とiPhoneと財布だけを持って、

緩やかな坂道を息を弾ませながらガシガシ歩き、

くねくねとした裏通りを通って、

西新宿の高層ビルの中にあるカフェへ。

閑散としているのを幸いに、ひとしきり文庫本を読む。

 

いかんせん私の日本史は中学生レベル、

途中で話が難しくなって行き詰まる。

気分転換に末尾の「あとがき」から読んでみる。

ちょっと泣きそうになる。

汗を拭いてるふりして涙を拭いて、気を取り直して続きを読む・・・。

 

徳川慶喜の助命に当たった部下として、勝海舟や大久保一翁の名前とともに、

山岡鉄舟が登場する。

山岡鉄舟かぁ・・・

名前は聞いたことがあるがほとんど知らない人だなー、

帰宅したら調べよう・・・と思いつつ、カフェを出る。

 

いつも通る神田川沿いの歩道もすでに薄暗い。

その中に白い紫陽花がぼんやり浮かび上がる。

路地を入った向こうにも、少し違う色合いの紫陽花が見える。

つられるように路地に入り、 iPhoneを取り出して次から次へと撮る。

紫陽花

 

その向こうにも・・・と家々の庭先に紫陽花が咲き乱れていて

ハッと気がついたら全く知らない場所にいて、

方角の手がかりになる高層マンションすら見えない。

道は行き止まり、その先の階段を登るしかない。

その手前に不思議な看板があった。

 

山岡鉄舟の旧邸趾に建てられた臨済宗のお寺の看板だった。

山岡鉄舟・・・あれ?どっかで聞いたような・・・さっき本で出てきたよね!?

 

近所からの苦情が多いのだろうか、

「木魚の音や読経の声がします、線香の匂いもします」と但し書きのような、

やや物々しい看板が出ている。

 

道なりに階段を登り、裏に回ると ひっそりとした禅会の看板があった。

 

山岡鉄舟旧邸跡

 

あとで調べると、明治の初め、皇居仮宮殿が炎上した際、

山岡鉄舟は淀橋の自宅からいち早く駆けつけたという話が伝わっている。

その淀橋の自宅とは、ここのことだろう。

 

 

明治21年に、皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命。

さらに、その後を追って殉死者が続出。

「鉄舟のいない世の中は、生きるに値しない」という理由で!

アイドルみたいだ。

墓前での割腹自殺である。

明治は近いようで遠い。

イケメンですね

(ウィキペディアから転載)

 

山岡鉄舟の旧邸跡の前で、薄暗い中でiPhoneで検索しつつ

あれこれ考えていたら、

自分がどこにいるのか、今がいつなのか全くわからなくなって、

ああ、こうやって人は認知症になるんだろうな、

あの世とこの世の区別がもうつかないよ・・

などど考えていたら、

娘からの「帰るよー」のLine着信で、我に返る。

GPSの地図を手がかりに、どうにか知っている道を探しあて、帰宅する。

 

山岡鉄舟の何か、

あるいは 紫陽花に導かれたような

不思議な体験だったので、記録しておく。